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感謝の気持ち

朝のTVで作文コンクールで文部科学大臣賞を受賞した「まゆみちゃんと私」という作文を紹介しました。

奈良の小学6年生の女の子が書いた作文です!






まゆみちゃんというのは書いた女の子のお母さんのことです。

自分の年ぐらい(小学6年生)でまゆみちゃんはお母さんを亡くしました。

その時の自分のお母さんはどんな苦労をしたのか聞かされ、いかに自分の今の生活は満たされているか、誰のおかげでその生活が送れてるかを女の子は考え、お母さん(まゆみちゃん)に感謝する素直な気持ちが作文に書かれています

お母さんに対して、現代っ子らしく!?小学6年生だった寂しがりやのまゆみちゃんは42歳のおばさんで、怒りんぼで、お茶目なお母さんだなど日頃のお母さんとのエピソードも書いてあり微笑ましいです。

例えば冷蔵庫が故障してしまい、電気屋が翌日の午後にしか来れないため、お母さんが片っ端から料理をして、ものすごい種類のおかずが出来上がり、「今夜は我が家でバイキング!」と言った後に「あぁ、疲れた。早く冷蔵庫が直らないと困っちゃうよ。」とものすごく落ち込んでみたりして、そんな子どもっぽいところがあるお母さんを見て、女の子はふとひとりぼっちでご飯を食べていた小さなまゆみちゃんの姿を想像したのでした。

「お母さんが6年生の夏休みにはもうお母さんのお母さんはいなかった。いいねぇ、○○○はお母さんがいて。」
「じゃあ、お母さんが6年生のころの話をするから、想像してみ。」とお母さんが言った。

まゆみちゃんはアイロンのかかってないくしゃくしゃの服を着て、ぴんぴんはねた短い髪をしている。

「長かったけど、お母さんが死んで誰も髪をきれいに結ってくれる人がいなくなったから、無理やり切られた」と寂しそうに言った。

「今みたいに電子レンジやインスタント食品や出来合いのおそうざいなんてなかったしね」

「毎日玉子焼きばかり作った。」「あと、冷凍ハンバーグ。たまに中が生焼けだったりした。」

女の子はそれを聞いて、お母さんが自分の髪を結ってくれ、洋服も必ずアイロンがかかっていて、塾から帰ってきたら自動的にホカホカの温かいのが出てくる。
今まで当然のことだと思っていた。当然かどうか、考えたことさえもなかったが、それは当たり前のことじゃなくて、小さなまゆみちゃんがしてもらいたくても、してもらえなかったことを、自分がお母さんになってずっとしていてくれていたことを・・・

女の子はいつも自分のお母さんが仏前でお母さん(おばあちゃん)に話しかけてるように、おばあちゃんに心の中で話しかけた。

「おばあちゃん、お母さんはおばあちゃんよりも年をとったよ。私はおばあちゃんが死んだ時のまゆみちゃんと同じ6年生になったよ。おかあさんはおばあちゃんとしか11年しか一緒にいられなかったけど、わたしはこれからもたくさんお母さんと一緒の時間を重ねていくよ。」と書いてありました。

その作文の記事を読んで関心したと共に、普通ならその場にならないとわからないことなのに、お母さんの立場になって想像力を働かせ、自分なりにこれから何ができるか考えたことです。


相手の立場にたって想像力を働かせ、感謝する気持ちを常に持つことの大切さを改めて認識させられました

中々出来るようで!?出来てないような気がします(>_<)

(その時々の体調や精神状態にも左右されそうな気がしますし!なおさら自分に近い関係の人には出来てないかも・・・当たり前すぎて気付かないこと私にもたくさんあるんだろうなぁ・・・当たり前ってなんだろ・・・今は当たり前でもそれが永遠には続かないこともあるだろうし^_^;)

当たり前の意味
①当然そうであること。②ふつうであること。変わったところがない様子。
だそうです!

*この記事は読売新聞(11/30付)には16枚中9枚掲載されているとのことです。

全部掲載してほしい



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